無償労働はしたほうがいい→ほんとこれ と思う7つの理由
「いやぁー、ほんとこれな」ってひざを打った
最近読んだ記事で、思わず膝を打ちたくなる記事があったので引用しつつ、振り返りをするために記事にする。
先に、そのすごくためになった記事はこれだ。
コミュニティベースの労働をすることのメリットその1
何かしらコミットすると、単純にお客さんで参加するより、イベントの中身がよくわかることが多いし、主催者と話す機会もある。
ほんとこれ。
1参加者でいるよりも、運営側に回ったほうが、そのイベントについての理解が3倍以上には高まる。
打ち上げとかに参加させてもらえれば、中の人とじっくり話すこともできるし、顔を覚えてもらって次の機会につながる可能性も、参加者でいるよりずっと確率が高まる
メリットその2
できれば自分の得意分野で何かしら無償労働すると、効果的になってうれしい。本業がまた楽しくなったりする。
ほんとこれ。
本業が楽しくなる。
これ超重要。
本業が楽しくなる。
これ以上愉快なことはありますか。
メリットその3
有名な大人の人と何日間も遊ぶのは難しい。
ほんとこれ。
有名な人なんて、普通の仕事のつながりじゃ、もうアポすら取れない。
自分も同じ立場で比肩するまでに何年かかるかわからないし、そもそもなれない可能性のほうが高い。
メリットその4
彼らが深圳でいろいろなものを見た反応は、僕が一人で回るより何倍も刺激的だった。
ほんとこれ。
全然違う見方をしている人と一緒に遊べること。
普通遊ぶ対象は友人だろうけど、だいたい友人は自ずと年齢層が近い人になりがちだろう。
多少業界の違いがあって見る視点が自分とは異なるとしても、目からウロコ、寝耳に水な出来事はあまりないはずだ。
そもそも自分と似ているが故に、一緒にいることが心地よくて友人になることが一般的だろう。
メリットその5
うまくいくとお金では動かない人と一緒に遊ぶことができる
ほんとこれ。
自分は一つのコミュニティで、これを体験している。
まず一生出会えないであろう人たちだ。
だから頑張らなくちゃいけない。
メリットその6
自分がおもしろがることはとてもよいライフハックだと思う。そうじゃないと、この手の無償労働やりたがる人は、無償作品制作をやるひとがオタくさくなりがちなように、意識だけ高くなりがちな気がする。
無償労働をする上では、「自分が楽しんでいる」ということは必要条件になる。
そうでないと説教くさくなったり、持続的な関係にはならないからだ。
「自分が楽しんでいる・面白がる」能力というのは鍛えられるものだと思う。
そして、それを鍛えていないと、仕事で目標を失った時に、たやすくエネルギーは枯れてしまうと思う。
鍛えるいい機会になるし、失敗しても基本的に誰にも責められない。いい企画を立てれば、ほんの少しの労力で、成功する可能性は高くて、失敗する可能性は低い。
メリットその7
僕が何をやっても世界を変えられるとは思わないけど、おもしろい人と遊べれば僕の世界は変わるし、それで十分だ。
面白い人と遊ぶためには、まず自分が面白がらなくてはいけない。
そうして、面白がっていることで、面白い人との新しいつながりも生まれて、プラスのスパイラルが生まれたら最高だと思う。