読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

求めない

むかし付き合いはじめて間もない女性に、私製の絵本を見せられたことがある。その女性は絵本作家になるのが夢だった。

で私は「どう思う」といわれて、絵はとてもキレイにできているが話が弱いのではないか、というような事を言った。男女の付き合いに慣れていな いせいなのか、本読みの本性が出たというかある程度正直に言ってしまった。あとでもう少し親しくなってから「あのときはかなり凹んだ」と告白された。なん て優しさのない人なんだろう、と思ったそうだ。

「努力の成果」を見せられて困ってしまう事がある。見るべきものがそれほどないとき、どういうふうに言うのが優しいのか。才能ないから止めた 方がいい、と言って夢を奪うのは一番優しくないのだろう。またある程度男女の仲が前提となっているときなど、正直に伝えて気を悪くされても困る。私のよう な失敗は避けるべきかもしれない。

また、本をある程度読む人が辛いのが、本を贈られたり、親しいほどでもないが良く知る人に本を薦められたときだ。読まないといけないのは勿 論、正直な感想も言い難い。せっかく贈ってくれた人、薦めてくれた人にただ「つまらなかった」と言うのは、とても優しくない行為である。

このように格別親しくもない知り合い関係はややこしい。我々はより気を使う。それは「優しさ」と言われたりするが、この種の「優しさ」に限っていえば、じつはそれが一番遠いのだ、と思う。一番伝わらない。

全くの他人であったりすれば正直に本当のことを、ときに辛らつに言うことができる。重要なのは辛らつかどうかではない。本当かどうかだ

またかなり親しくなってしまえば、そのときもホントの事が言えるようになる。「なんでそんなつまらない番組見てるの」とか平気で言えるようになるのだ。

私自身自虐的な部分があるから参考にならないかもしれないが、私は自分が何か書いたとき、何の賛辞もなくても良いと思う。ただ本当の反応は知りたい。連帯を求めて孤立を恐れずということばがあったが、「優しさ」を求めて本当を隠す、では、私にはそれは意味のない世界だ。

 

自分が何かを求めていることを前提としながらも求めないこと

 

そんな感覚を共有できる相手がいれば、辛辣かどうかは関係なくなる。