2007年から入ったシン・エヴァンゲリオンと私

2007年大学入学。
学歴はそこそこあるが、エヴァについて分析する講義もあるサブカルよりなところが少し鼻が高い学部だった。
 
一方の自分は完全ににわかオタクどころかリア充に擬態しているようなやつで、アニメは見ず、サークルにも飲んで、コールして、ウェイ!みたいな場所だった。
 
エヴァとの距離もそんな環境だから決して近いわけではないんだけど、唯一覚えているのは多分2008年。
新劇の影響か、大学の講義の影響かわからないけどエヴァンゲリオンは見ていても悪くないよね、という空気を感じていた。
ハルヒはオタ臭くて痛々しいので公言できないが、「エヴァ?あぁ、見てるよ」というのは女の子にも言える感覚。
 
暇だったのでTV版エヴァを見始めて、うろ覚えだけどたぶん夏休み明けくらいに、当時好きだった女の子に「エヴァ見てんだよねー」と雑談していた。
オタクっ気が全く無い人だったのだけど珍しく「私もみてるよー」というのでびっくりして何度か感想を言い合った。
 
TV版最終話も見終わって、「どうだった?」と話したとき、
 
正直に「前半のロボットバトルしてるパートは面白かったけど、後半の内面っぽい世界はよくわからんかったわ」
と言ったことを覚えている。第九話 瞬間、心、重ねてが好きだったのでしょうがない。
なんという浅い感想。
 
「あぁーわかる、私もそんな感じ」
と言われて、自分だけじゃないんだと嬉しく思ったのを覚えている。
 
自分にとってのエヴァはそこがピークだったのかも知れない。大学生にもなってアニメの感想を言うなんて、学術的な分析でもなければ正気でできないと思っていたとき、「わからないけど面白い」が受け入れられた。
 
破はビーストモードカッケーと無邪気にはしゃいで、「これだよこれ」と思っていた
Qのころはみんな新社会人で映画を見るために集まるという時間も心も余裕がなくなっていた。
 
自分にとってはエヴァについて語ったのは後にも先にも、あのときだけだった。
 
大人になってからというものの、エヴァに対する距離感が人それぞれ違い過ぎて、熱量を共有することは難しい。
 
シン・エヴァンゲリオンの感想もしっくり来るものが少なかったり、人の文章を見ると、自分の中のエヴァが頭の中で霧になって消えていってしまう感じがして深く読み込めない。
この文章を書いて言語化する中でもたくさん手のひらからこぼれ落ちている。
 
語り合える友達がいて、喧々諤々と話し合った後に鎮めるために文章を書くならいいけど、
一人で観に行って、モヤモヤして、他人の文章を見てなんとなくスッキリするのは違うなと思って思い出を書いた。
 
1995年から囚われ続けている人とは重みも違うだろうけど、2008年からTVシリーズから入って囚われている人もいるよ。
 

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エヴァのことを何も知らない妻との会話。
大学のときに話したあの子が今の嫁です、というオチは残念ながらない。
勝手に時間は過ぎて、人生は進んでいる。
シンジに感情移入した14歳の自分と、今の環境を比較して、自分の生より死について強制的に向き合わされている。
エヴァの供養はつまり、思春期の自分への供養。引きずっているようがよほど楽なので、鎖から解き放たれた開放感はあるものの、なぜか寂しい。