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人助けとノブレス・オブリージュ

http://rocketnews24.com/2014/04/13/431740/

 

・20ドルとメモ

事務所に財布を届け、「生徒の誰かが財布を落としたようです。ちゃんとこの財布が彼の元に届くようにして欲しい」と伝え、去ったのだ。実はこの財布のなかに、男性は余分に20ドルを入れておいた。以下のメッセージを添えて、財布を届けていたのである。

「あなたが世界は素晴らしい場所であるとわかってもらえるように、20ドルを入れておいた。お願いがある、あなたが恵まれていると思うのなら、ほかの誰かのために素晴らしいと思う行いをして欲しい」

 

・誰かの助けに

きっと財布を失くした生徒は、落胆していたに違いない。もしかしたら、絶望的な心境に陥っていたかもしれない。そんな生徒の気持ちを見越して、余分にお金を入れ、同じように落胆しているかもしれない人の助けになってあげて欲しい、そうお願いしたのだ。

・学内で共有

学校の教頭はそのことを知ると、そのメモを撮影して学内のスタッフに共有したそうだ。財布を拾ってラッキー! と思う人がいるかもしれない。だが、 それは落とした人のものであり、相手は間違いなく困っているはずである。その気持ちを察して、さらに世のためになる知恵を伝えた男性は、本当に豊かな人な のではないだろうか。ちなみにレイエスさんは、このメモにしたがってこれから行動すると誓ったそうである。

 

 

 こういった話を目にするたびになぜか元気になったり、良いもの見た気分になって少し気が安らいだり、自分も少し他人に何か良いことをしようと思うのはなぜだろう。

 

別に自分が良いことした訳じゃないし、アメリカの話だから自分の知っている人が幸せになった訳でもないのに、なんか幸せな気分になるのは不思議だなぁ。

 

最近自分が経験したことだと、献血がこれに似ている。

自分がしたことが誰かの役に立つなんて直接はわからないし、血液を抜かれるために1時間じっと待っているだけである。

でもなんか終わった後にすっきりした気分がするのだ。

 

これはもう本能的な快楽なんではないかなと思う。

子孫を繁栄させるための。

ひいては人類を栄えさせるものの。

 

でも、 本能的に「イイハナシダナー」で終わらせることも出来るが社会的なものとしてとらえることもできる。

ノブレスオブリージュ

 

英語では「nobility obliges」と表現し、社会的、経済的に卓越した者に要求される、"高貴あるいは高位のひとびとは、たとえば、富者の慈善のように、他者に対して気高 くかつ寛大に振る舞わなければならない"という義務、"高貴な家柄は(子孫に)高潔な行動をとるべく強制する。特権こそまさに責任を伴う"といったような 社会的な圧力であるという。 

 

ノブレス・オブリージュ - Wikipedia

wikipediaではノブレス・オブリージュの起源は下記のものとされている。

ファニー・ケンブル1837年に手紙に「……確かに『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族は(それに比して)より多くの義務を負わねばならない。」と書いたのが、この言葉が使われた最初である。

 

http://news.linkclub.jp/lcnewsletter/2010/07/10summer-news5.html

こちらの記事では1803年と起源の説にも色々ある言葉のようだ。

ノブレス・オブリージュは、レヴィ公爵という人物による『格言と省察』(1808)に出てくるといわれている格言です。

 

200年くらいしかない言葉だとしたら最近出て来た考え方だと考えられるし、そもそも貴族を対象とした言葉なので、社会性の意味が強い言葉だ。日本では新渡戸稲造の「武士道」でも出て来たらしい。

 

今回の拾った財布に「あんたも他の人が困ってたら助けなよ」というメッセージを添えることはノブレスオブリージュに近いのではないか。ここに階級社会的な義務を押し付けられているとこの少年が感じたら、まさに社会的な関係性として自分の役割に気づいたことになる。ただあんまり押し付けられた感がなくて、自発的に良いことをしようと思ったらあまりノブレス・オブリージュの例に当てはまらなそうだ。(ノブレス・オブリージュが発露した例として戦争に赴くイギリス貴族がよく引き合いに出されているから)

 

 

 

先輩が飲み会でおごってくれた後によく使う「あぁ、いいよいいよ。これはいづれ出来る後輩に返してあげてね」というのもこういった話だろう。

 

そういった先輩が周りにたくさん居ることは一面では豊かな人との巡り合わせがあって幸運なことだとも考えられるけど、そういったことの中で自分でも気づかないうちに社会の大きな渦の中に身を投じていることに自覚的にならなくてはいけない。義務はどんどんふくれあがって誰かに返さなくちゃいけない、連鎖が始まっているのだよ。